川崎富作

日本小兒科醫師,川崎病發現者

川崎富作(日语:川崎 富作かわさき とみさく Kawasaki Tomisaku,1925年2月7日—2020年6月5日[2]),日本医生儿科专家。川崎病以其得名。

川崎富作[1]
川崎富作
川崎富作博士(右三)在2005年第8届国际川崎病研讨会上
出生(1925-02-07)1925年2月7日[1]
 大日本帝国东京府东京市浅草区日语浅草区浅草
逝世2020年6月5日(2020岁—06—05)(95岁)
 日本东京都
国籍 日本
母校千叶医学専门学校日语千葉医科大学 (旧制)医学专门部(今千叶大学医学部)[1]
知名于发现川崎氏病
奖项朝日奖(1989年)
第81回日本学士院奖平成3年,1991年)
名誉都民(2010年)
科学生涯
研究领域小儿科[1]
机构日本红十字会医疗中心日语日本赤十字社医療センター[1]
日语写法
日语原文川崎 富作
假名かわさき とみさく
平文式罗马字Kawasaki Tomisaku

生平

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川崎富作生于东京府东京市浅草[2][3]。1948年(昭和23年)毕业于千叶医学専门学校日语千葉医科大学 (旧制)医学专门部(今千叶大学医学部),获得医学博士学位。1962年(昭和37年)在日本红十字会医疗中心日语日本赤十字社医療センター工作期间,向千叶县儿科学会提交一种新型疾病的报告,共描述50名幼儿病例,并命名为“非猩红热性落屑综合征”[4]。此后,该病正式得名川崎氏病(Kawasaki disease)。1990年(平成2年),川崎富作从医疗中心退休,在东京都台东区开办“川崎富作儿科诊疗室”,同时担任日本川崎病研究中心理事长,久留米大学客座教授。

1991年(平成3年),川崎富作获得第81回日本学士院奖[5]。2006年(平成18年),获得第1回日本小儿科学会日语日本小児科学会[6]

2013年(平成25年),川崎富作以年近90岁高龄正式退休[6]。2020年6月5日,川崎富作因衰老而逝世,享耆寿95岁。[7][8]

参考资料

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  1. ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 川崎富作 かわさき-とみさく. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 讲谈社. [2020-05-13]. (原始内容存档于2020-06-10) (日语). 
  2. ^ 2.0 2.1 川崎富作先生. 特定非営利活动法人 日本川崎病研究センター. [2019-09-16]. (原始内容存档于2020-05-07). 
  3. ^ 柳瀬义男“ヘボ医のつぶやき”(讲谈社出版サービスセンター、平成4年2月1日初版発行、ISBN 4-87601-257-1)pp35ほかより
  4. ^ 川崎 富作,神前 章雄. 指趾の特異的落屑を伴う小児の急性熱性皮膚粘膜淋巴腺症候群 : 自験例50例の臨床的観察. アレルギー (一般社団法人日本アレルギー学会). 1967, 16 (3): 178–222. 
  5. ^ 临床家たちの奋戦记 病名に名を残した医师 板仓英世(编集)(2000) メジカルセンス 东京
  6. ^ 6.0 6.1 過去の最新情報. 日本小儿科学会日语日本小児科学会. 2006-04-23 [2012-11-30]. (原始内容存档于2007-11-23). 
  7. ^ 黄名玺. 率先發現川崎病 日本醫師川崎富作享耆壽95歲. 中央通讯社. 2020-06-10 [2020-06-10]. (原始内容存档于2020-10-24) (中文(繁体)). 
  8. ^ 「川崎病」発見した小児科医・川崎富作さん死去 95歳. 朝日新闻. 2020-06-10 [2020-06-10]. (原始内容存档于2021-03-12) (日语).